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佐竹義政の首塚。治承四年に源頼朝が打倒平家の兵を挙げた際に当時太田を本拠に奥七郡(多珂・久慈東・久慈西・佐都東・佐都西・那珂東・那珂西)を支配していた佐竹秀義は頼朝の帰順勧告に従わず、金砂山城にたてこもって抵抗した。秀義の兄・義政は縁筋にあたる上総介広常の勧めで帰順し、頼朝と会見のため国府に向かったが、ここ大矢橋で謀殺された。