いかなる人も踏み迷う

2017年06月

人付き合いをしていると、安心してゆるくなる、甘くなる、ぬるくなる、頼りたくなる、頼られたくなる、甘えたくなる、ほどほどでよくなる、居場所を求めたくなる、現状を守りたくなる、冒険心がなくなる、人の目を気にするようになる、人恋しくなる。

やはり人と違うことを為そうとするならば人付き合いはできる限り避けねば…。探究心はいつだって言い知れぬ孤独や寂しさや空しさや不安から生まれてくるものなのだから。

最近燃えかすのようになっていたのは、好奇心や探究心がなくなってしまったのではなく、いつになく人付き合いをして、人とふれあい、言葉を交わしたからのような気がする。

もっといえば、幼なじみの親友に『将来同じ老人ホームに入ろうぜ』と言われ、こうして地元の仲間たちと一緒に年を取って面白おかしく過ごすのも悪くないなと思ってしまったことが原因のような気がする。

こんなんじゃダメだ。もっと孤独な環境に身を置いて心を研ぎ澄まさねば。

人と違うことをすることに無性の喜びと生き甲斐を感じる本来の自分を取り戻さねば…。

こんな腑抜けな状態で生きてるんじゃ、生きてる意味ないからな。

人はみな「他人からしたら どーでもいいこと」を『大切に』思って生きている。

横須賀出身と名乗ると『えー!じゃあ毎日海を見てるの?いーなぁ??』とか言われ、何でそんな当たり前のことを聞くんだよ!と辟易する。

今日某所で福岡県出身の新卒の「とってもかわいい子」とお知り合いになり「そんな敬語じゃなくって博多弁でしゃべってよ!」とお願いしたところ『どーしたと?』『何かあったと?』と茶目っ気たっぷりに言われ『あー、今、この瞬間に死んでも何の悔いも後悔もないな』と思った。とても幸せでした。っていうかあれは反則技だな…。

このページのトップヘ