いかなる人も踏み迷う

2015年11月

私は「このままじゃ死ぬに死ねない」と思うのではなく『このまま埋もれたままで花咲くことがないなら、もがき苦しみたくないからとっとと死にたい』と思う人である。

ささやかな夢、大それた夢、究極の夢がある。

「ささやかな夢」は中途半端な状態で未完成になっている作りかけのサイトをすべて完成させること。

「大それた夢」はこれまでに訪ねたすべてのお墓の正確な場所を落とし込んだ地図とレポートを作成してオレが死んでも未来永劫語り継がれるバイブルを残すこと。

「究極の夢」は日本全国の図書館を訪ね歩いて全国の市町村史に目を通して、もう一度鎌倉時代??室町時代の歴史的人物のお墓のことを洗いざらい調べて、見落としてたお墓巡りをすること。

究極の夢を為すためには莫大な時間とお金が必要…。究極の夢が叶うならその他の趣味とかは全部投げ捨ててもいいから何とか…。

これまで人がやっていないことを探求することに価値を見出だしてきたが、当たり前のことながらそれは一般的には受け入れられることじゃない。

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千畳敷。伊勢大神と熊野大神が楯ヶ崎を望んで酒盛りをしたという伝説が残されている。

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