いかなる人も踏み迷う

2015年09月

オレがじいちゃんやばあちゃんの関係の「あんた誰?」って言われかねないような遠い親戚の家に顔を出しても邪見に
されないのは亡くなったじいちゃんのおかげ。

当時東京の方(と言っても横須賀だけど…)に出ていたのはじいちゃんだけだったらしく、のちに続くものたちがじいちゃんを頼りにして上京した人が少なくなかったみたい。

そしてお盆や正月に山形に帰れない時などは「横須賀のおんちゃんのところに寄せてもらった」「おんちゃんには本当に世話になった」と冠婚葬祭の度にそういう話を何度となく聞いた。

実の息子や孫のオレたちからしたら、とんでもない、たちの悪いじいさんだったが、甥っ子や姪っ子にはとてもやさしくて面倒見のいいおんちゃんだったらしい。

もうじいちゃんの代どころか、おやじの代の人たちもかなりの人たちが鬼籍に入っていてそんな話を知っている人も少なくなった。今はオレの再従兄弟の代なのだろうが、再従兄弟のことはオレもほとんど何も知らない。

いずれにしても、オレも甥っ子ABCDをかわいがって『よく面倒をみて』老後と死んだ時のことを宜しく頼むよーにしなくちゃ…。。。

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補陀寺。

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姿見の井戸。この水鏡が曇り、ほんとの形が写らない人は、命が長くないと占われる。

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万里小路(藤原)藤房の墓(補陀寺)。藤房は後醍醐天皇の側近として建武の新政に尽力したが、その後、後醍醐天皇の側近政治に批判的になり、天皇の元を離れて消息不明となった。その藤房が、秋田で亡くなったという説があり、これがその藤房の墓とされるものである。20数年前に南北朝時代に興味を持ってからいつか訪ねたいとずっと思っていた。積年の想いが実ってよかった!

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安全寺の棚田。男鹿半島のなまはげ大橋から見ることができる。確かに景観は抜群だが、棚田というほどの傾斜はないような気がする。

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