いかなる人も踏み迷う

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御所ヶ谷神籠石。御所ヶ谷神籠石は周囲約3キロの大規模な遺跡で7世紀に唐や新羅からの侵略に備えて築かれた古代の山城跡だという。この中門は御所ヶ谷神籠石を代表する遺構で長さ18m、幅12m、高さは上段5m、下段2mの計7mである。

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姫御前塚。平景隆には姫御前と里人に慕われる美しい娘がいた。蒙古襲来の報を太宰府に伝えるため、家来の宗三郎と樋詰城を忍び出たが、元軍が射た毒矢に傷付き、動けず自害して果てた。その姫御前の亡骸を葬ったとされる塚。

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ゆかんど(不行塔)とはみだりに立ち入ってはならぬ所の意味で、この地は義有王の陵墓と伝えられている。義有王は後村上天皇の第六皇子であった説成親王の子・大僧正円悟(円胤)のことで還俗して義有王といった。文安元(1444)年、南朝方の残党と共に兵を挙げ、大和・紀伊に転戦して湯浅城の守りを固めたが、畠山持国の軍に敗れ、文安4(1447)年にこの地で自刃したという。享年四十歳。尚、この付近の山中には義有王の部下の墓といわれる数基の板碑が点在している。

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